浮月シャクジ能

- Fugetsu shakuji noh -

  • 特別出演:梅若実玄祥(観世流シテ方 / 人間国宝)
  • 出演:大倉慶乃助(大倉流大鼓方 / 「シャクジ能」代表)、竹市学(藤田流笛方)、飯冨孔明(大倉流小鼓方)、林雄一郎(観世流大鼓方)
  • 舞台美術、出演:辻雄貴(華道家 / 舞台美術家 / 「シャクジ能」アーティスティックディレクター)
  • 撮影:関谷幸三、松浦栄一
  • 主催:浮月楼、ダンスウェスト

浮月シャクジ能 - 寄稿文

「献花差立」とはなにか

石塚 晶子 (シャクジ能 顧問 / 編集者)

 一本の枝を立てることで、生命に満ちた空間をつくりだす―それがいけばなのはたらきのひとつである。その場所を飾るだけでなく、植物の力によって新しい場をつくるのが、「いける」ことの本質だ。
 辻雄貴が行なう「献花差立」は、人間を越えた存在に対して美しいものを捧げ、自分の芸を宣(の)ることにほかならない。美しいものとは、色鮮やかな花や形が珍しい実に限らず、見捨てられた木の根や倒れた竹、枯れた葉でさえも、「献花差立」の主役になる。ただし、それを天と地をつなぐように立てることが必要だ。立てることで花に新たな命を与え、この世ならぬものが降りる依り代にすることができる。
 この気づきは、「シャクジ能」という、能楽成立以前の芸能へ遡行する取り組みから得たものだろう。大倉流大鼓方の大倉慶乃助と共に行っている「シャクジ能」では、同時代に成立した能といけばなの融合によって、日本の芸能への新しい視点を提供しようとしている。
 シャクジとは、神道成立以前の精霊で、芸能や技能など、人間が行う技の守り神のことだ。この神は樹木に住んでいて、人に憑くときには樹木から降りてくるとされている。たとえば、蹴鞠は四隅にサクラ、ヤナギ、カエデ、マツを立てた広場で行うが、蹴鞠の名手には木から精霊が降りてきて取り憑き、鞠を存分に空中に舞わせるという。
 蹴鞠は、砂を敷いた広場で行う。日本の芸能はそれぞれの「場」を必要とすることが多いが、芸能者は「場」を物理的な空間としての存在だけではなく、生きもののように変わるものだと捉えてきた。芸を披露すること、たとえば花を立てることは、「場」をつくることであり、茶を点てて喫することは、一期一会の一座を建立することだ。
 「シャクジ能」は、花によってシャクジの住まうにふさわしい空間をつくり、そこで能を演じる。舞台に差し立てた花にはシャクジが降り、技芸に秀でたものに取り憑き、またその花を伝わって人ならぬものが住む場所へ帰っていく。
 「シャクジ能」は、本来、自然と人間をつなぐ結紮点にあった日本の芸能を再認識する試みだ。その冒頭に行われる「献花差立」は、場所を異界に変えるための重要なきっかけなのである。

浮月シャクジ能 - 寄稿文

「庭の汀で舞う女たち」

原 瑠璃彦 (日本庭園・能楽研究者 / ドラマトゥルク)

江戸時代、江戸には数千の庭園があったと言われる。言うまでもなく、その中心にあったのが今日皇居となっている徳川将軍の江戸城である。近世には、これを囲むようにして各大名ほか多くの人々が庭園を設えたのである。
 最後の将軍・慶喜が大政奉還の後、明治二年十月五日に移り住んだのが、この浮月楼の地である。それまでここは徳川幕府の代官屋敷であったらしい。その折、京都から六代目・植治こと小川治兵衛なる庭師が呼び寄せられ庭が築かれた(京都の無鄰菴庭園などで知られる植治は七代目である)。この庭を、江戸時代の膨大な庭園史の終着点と位置付けることもできるだろう。慶喜時代の建築は現存しないが、庭園はなおこの地の記憶を現在にまで届けてくれている。
日本の庭にはかならず池がある。それは海の縮景である。海に囲まれたこの国において、海辺は最も愛される風景であった。庭園の発展した奈良や京都は盆地なので海がないが、貴人たちはその代わりに邸宅の傍に池庭を作ったのであり、その背後には、国中の様々な海辺の記憶がある。そうした海辺のなかで、古来とくに名高いのが静岡の三保の松原である。浮月楼の庭をつくるにあたり、庭師の脳裏に三保の松原があったと考えることも、あながち無理なことではない。
 海辺とはどういう場所なのか。そこは何が起きる場所なのか。その一つの例が羽衣伝説である。三保の松原という清浄な海辺に一人の天女が降り立つ。海辺とは、そうした超越的存在が来臨するトポスなのである。
能「羽衣」では、漁師(地上人)と天女(天上人)は羽衣を媒介としてつかの間、接触するだけであるが、もともとの伝説では二人は夫婦となる。羽衣伝説とは本来、聖婚伝説の一種なのである。こうした神話的な女性は、折口信夫が「水の女」と呼んだ類型にほかならない。海辺とは聖婚のトポスである。そして、それに伴って饗宴(シュンポシオン)が催された。ある作家は、水辺で酒を飲むことについて度々書いていたが、そうした思想の源流はここにある。
 能「羽衣」のなかでは、天女の舞が東国に伝わる東遊の駿河舞の起源であることが強調されている。この舞は奈良で能楽を作り上げた世阿弥たちが理想とするものであった。海辺にあらわれ舞を舞う神聖な女性の姿は、能の「羽衣」のなかに現在も生きている。あるいは、清水芸妓のような女性たちも、そうした東遊の駿河舞を舞う神話的女性の当世版と言えるだろう。
 庭はそこでパフォーマンスが行われるとき、その本領を発揮する。海辺を模したこの舞台空間で「水の女」たちが舞い、こうした神話が再生するとき、それに応えてこの庭もより一層輝きを増してくれることだろう。

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